でんぶんじょの楽しみ

ドライブと山とスキーを最高に楽しむ。時折スピリチュアル。

東京という化けの皮

東京が面白かった時代というのが過去にあった人ならば、ここ最近の東京は面白くないと正直感じている人が結構いるんじゃないかと。

何でかな〜と思って個人的推察をしてみた。

 

消費する為に盲目的に働き人生終えるというゴールが見えた時に、金無しで人生送る事を許容できなくなる。死ぬより辛い‼️

自分はそれに気づいた時、アメリカ留学という形で経済至上主義の巣窟へ入った。

そして何の因果かリーマンショックの煽りを受け、かなり良いタイミングで夢から覚めた。

しかし舞い戻り勤め人になる。。。金を掴まされ消費社会のメタファーとも言える東京に捕獲される事を余儀なくされる。。

東京は金があれば消費社会を楽しむ事が出来る。お陰で知識欲も物欲も満たしてくれた。しかしどこか敗北感がつきまとい、一時的に楽しくても喜びに至る事はなかった。と今は思う。

楽しさが場所にあった時代や消費社会の終焉には随分前から気づいていたが、漂流し死滅回遊魚の如く生活していたと言いたくはないが、遠からずである。

 

今の楽しさは仮想環境にあり、時間にも場所にも拘束されないものが多くなった。

短絡的例えで言うと、昔は好きな番組の始まる時間に家族揃ってテレビの前にいたが、今はそんな事しないわけで…。

父とのチャンネル争いが懐かしい。。。腹も立ったがそれはそれで楽しかった事にしておこう。

 

グレーな曇り空の気分と敗北感を自分の被ってきた東京の化けの皮と呼んでいる。東京の化けの皮とは消費社会で満たす自らの物欲や虚栄心に近いだろう。

そいつを脱ぎ捨て御魂だけになるのが最近痛気持ち良くていい。物質的肉体に対する客観的思考は血縁というものすら薄く消えてしまうように感じさせる。自由を得ると共に孤独を感じるというか…。

そして物質的快楽が消滅すると同時に空間と時間の縛りが消滅すると言えるだろうか。。。それは異次元的ですらある。

そうすると時間的観念が揺らぐ中、未来に向かわなきゃという焦りは要らない気がする。動ぜず今を見る事が大切になるんだろうか。

そして、かつて楽しかった場所、東京と決別していくのだろう…。